つらぬくような軽いいたみ

毎日は書くことができない日記

夕凪の街 桜の国

 神保町でマンガを買って帰った。一冊は中村明日美子の「Jの総て」。取り澄ましたり泣いたり喚いたりするきれいな男たち。僕の生活の大半だって媚を売ったりすねたりなのだから、どうせならこれくらいきれいにやりたいと思う。だから僕はだめなのか。
 もう一冊は「夕凪の街 桜の国」。ヒロシマをテーマにしたマンガ。
 戦争体験を描いた作品はたくさんあり、読む価値があるものもたくさんある。そこでいう読む価値というのは、何というか絶対的なものだ。フィクション・ノンフィクション作品として秀逸かどうかなんてとても論じることができない。読む方にしてもエンターテインメントして楽しむなんて姿勢はありえないし、じゃあ情緒を育むとか教養として知っておいた方がいいとかいう功利的な姿勢を取り得るかというとそれも無理。
 そう思うのは僕が長崎生まれだからもしれない。家は原爆落下中心地の近くだったし、小学校の校舎は僕が2年生のときまで被爆時のものを使っていた。平和公園の平和の泉の碑文は、僕が生まれて初めて読んだ日本語の一つだ。怒りとか悲しみではなく戦争の悲惨さに対する感情というのがあらかじめセットしてあって、戦争について語るときはその感情と折り合いをつけながらしゃべっている気がする。
 「夕凪の街 桜の国」はものすごく面白い。愛と照れ。偏見とやさしさ。幸せと罪悪感。穏やかな絵柄とくすぐったいストーリー。評判はあちこちで聞いていたが、こんなにいい話だとは思わなかった。ありがとう、としかいいようのない完成度。
 「ひどいなあ てっきりわたしは死なずに済んだ人かと思ったのに」。ベースにしているのが、架空の国の架空の戦争の話だとしたらよかった。もしそうなら素直に泣くことができただろう。このマンガができるまでにかかった60年という時間を思わずにはいられない。