つらぬくような軽いいたみ

毎日は書くことができない日記

子どもの名前

わたしたちには、舞子と琴子という2人の子どもがいる。名前の由来は色々あるが、時々忘れそうになるので、ここに記しておきたい。


まず共通するのは「子」。「子」の付く子どもは賢い、という言い伝えを妻が尊重した結果である。

そこまでいかなくとも、嫌みではない程度に育ちの良さを感じさせる名前、というのはわたしたちの共通の思いではあった。最近では「子」の付く名前が激減しているので、「子」は無個性な名前ではなく、前述のコンセプトを打ち出しやすい名前になってきている。ありがたいことだ。


次に意識したのは、日本人的な名前であること。国際化に伴い、英語風の名前、欧米人に発音しやすい名前を付けるという人も増えているが、わたしは必ずしもそれがよいとは思わなかった。

不特定多数の認知を得る必要がある社名などならいざ知らず、人名でそれが必要か。人間が仲良くなるのに名前の呼びやすさが重要か。仲良くなれば自然と愛称などでカバーされるだろう。むしろ、一目で日本人とわかる、日本語の個性が出た名前の方が国際人として役に立つ場面もあるのではないか。


語感も大切だ。名字と合わせて呼んだときの語呂の良さは、自分で付けた名前ながらとても気に入っている。舞と琴で、意味的に対になっているのもいい。


個別の話でいくと。妻によると、舞子の名前はすごく美人だった妻の友人に由来するらしい。同じく美人で有名なバレーボール選手、狩野舞子にも。

舞子は日本的な名前、と言ったが、外国の子どもから「Boy’s name!」とからかわれたこともあった。舞子。Michel。言われてみれば、響きは男の子の名前と近い。微妙といえば微妙だが、天使の名前と思えば悪くない。ドイツ語読みしたらミヒャエルだし、ミヒャエルといえばエンデだし、エンデは妻の故郷にも縁がある。本が好きで、モモのように髪がふわふわした舞子に幸あれかし。


琴子は、わたしの故郷の海の名前でもある。その海は外海と小さな海峡でしか繋がっておらず、湖のように波が立たない。大村湾、またの名を琴海。湾の中には世界初の海上空港、長崎空港が浮かんでいる。空港の島、箕島は母の実家に縁があり、母の実家は島の木材でできている。父の実家の墓は小高い丘の中腹にあり、琴海を見渡すことができる。