つらぬくような軽いいたみ

毎日は書くことができない日記

グランドフィナーレ

 寒くて外に出ないでいると日が落ちてますます寒くなる。とても眠い。どうやらこのまま休日が一日つぶれるらしいと思うといいようのない恐怖感に襲われた。貼るカイロを背中に貼って外に出る。熱を放つのはカイロだけ。電池を背負って歩いているような気がする。
 渋谷まで行こうかと自転車に乗ったが寒すぎるので諦め、もう一つのプランとして考えていた吉祥寺を目指す旅に出る。旅といっても神田で中央線に乗るだけのこと。つぶさなくてもいい暇を無駄につぶしたために時間がなくなったので行くのを一度を諦めはしたが、これほど寒くては電車以外では移動できないのだ。
 全ての効率が悪い。行動も思考もエネルギーも。
 電車の中では「グランドフィナーレ」をずっと読んでいる。男の自己完結の話。男から見たロリコンの話。男から見たロリコンに対する正当な非難を浴びせる女の話。
 混雑する中央線。僕の向かいにはボウズに丸メガネの男がいる。レンズと目の距離がとても近い、堅苦しい顔。69年前にもこんな人がいたのだろうか。
 紅茶を買い、吉野屋でご飯を食べる。「グランドフィナーレ」を読み終わったのは井の頭線の中だった。ものすごく色々なことを考えた。こういう構造でこういう問題意識でこういう考え方の違いとこういう認識の限界が描かれているのだと人に説明したくなった。群像の巻末でけなされている「人のセックスを笑うな」を読んだときにはそんなことは思わなかった。好きなのに、何で好きなのか説明する言葉は思いつかなかった。
 つい思考してしまう。感情を表す前に分析してしまう。そういう人同士なら、思考を語ればそれで気持ちが伝わるのだ。こういう思考を組み立てるときはこういう気分だという共通認識ができているから。当人たちは難しいことをやっているからわかってもらえないのだと思っている。それは確かに難しいが、わかってもらえないのは難しいからではない。
 この小説を面白く思う部分が、自分の中で一番消し去りたい部分なのに。