つらぬくような軽いいたみ

毎日は書くことができない日記

英国ドールハウス展

 ちょっと遅刻気味に東京大丸に集合。後輩の女の子たちとドールハウス展の見物に行く。
 最近読んだ北村薫の小説でもドールハウスが出てきましたねえ、くらいの極めて低い問題意識で臨んだドールハウス展は想像を絶する愉快さ。最初はドールハウスを見ていたが、だんだん着目点が解説文に移っていく。
 「19世紀後半、インドにおける戦役テント … 英国史の一時代には相違ない。しかし、最近のドールハウス愛好者の集まりでは、植民地時代について話が弾むことは、滅多にない」
 それはドールハウスの解説じゃないだろ、というか真っ当な集まりで植民地時代について話が弾むことがあるのか。他の解説文も「みんな」や「誰でも」が文中に散りばめられ、全体的にどうしようもないトーン。本当にドールハウス愛好者は全員ディケンズが好きなのか。
 監修者は何をしているのかと思えば、イギリスまで行ってコレクターに秘話も聞かせてもらえなければコレクションもろくに見せてもらえない体たらく。なのに「この日本人はわかっている、という信頼の念が伝わってきた」らしい。
 「楽しかった思い出 … "あの頃は…"この登場人物は恐らく夫婦だろう。傾いた倉庫と、二度と走らぬスポーツカー。ハッピーとは過去のこと。心情の表現に、巧みさを超えるものを感じさせる作品ではなかろうか」
 ハッピーとは過去のこと。作品が素晴らしいだけに、解説文がほろ苦すぎる。