つらぬくような軽いいたみ

毎日は書くことができない日記

夜々

 もしも野球が好きだったとしたら、僕の人生はほんのわずかだろうけれど確実に違うものになっていただろう。何事もなく静かな東大構内を走り抜けて、坂を下りると東京ドームではちょうど試合が終わったところだった。
 プロレスと野球は見ると面白い。けれど能動的に見ることはないし、楽しく見終わったあとも選手の名前なんて誰一人覚えてない。もちろん顔も。顔も名前も覚えていなければ人と話すこともできない。話す気も起きないまま記憶は消えるばかり。
 ものすごく盛り上がった人たちの中で自転車が立ち往生。野球はスキューバダイビングや宝塚のようにそれまで無縁の生活を送ってきた大人が突然目覚めることができるものなのでしょうか。それとも詩のように、20歳までに読めなければ無理なものなのでしょうか。このような興奮が僕の血肉になることはあるのでしょうか。それにしても自転車が進まないな。というか阪神戦かい。