つらぬくような軽いいたみ

毎日は書くことができない日記

「僕のなかの壊れていない部分」と「ライ麦畑でつかまえて」

 昨日白石一文の「僕のなかの壊れていない部分」を読み終えた。自分は冷静で、自分は理論的で、自分は物事を深く考えていると思っている男が主人公。エリートサラリーマン。女を馬鹿にしつつ依存している上に、母親への憧憬付き。始末に負えない。ここまで徹底していると逆に清々しくもある。だからと言ってむかつかないわけではないけれど。
 嫌な男とそれゆえの孤独。のようなものを書こうとして作ったキャラクターだと思うけれど、随所に「これって本気でそう思っているんじゃ……」と思わせる描写が散りばめられており全く油断できない。仏教についての持論を滔々と語りだすあたり等、キャラの性格付けの演出だと思いたいがしかしこの長さは……。
 主人公が38歳というのも熱い。その年で自分一人だけが懸命に生きているつもりなのか……。でも意外と似た状況にある人多いのかも……。
 なぜか変に傷ついた僕は、買うだけ買って読んでいなかった「ライ麦畑でつかまえて」を持ってベローチェに向かう。そして納得。おんなじだ!
 でも「ライ麦畑でつかまえて」の主人公は学生だし、女性は馬鹿にしてるけれどその分ちゃんと相手にされないし、シスコンもマザコンに比べれば個人的に許せるし(危険)、社会的な地位も笠に着ない……というか全然持っていないし、で好感が持てる。むかつくけれど。
 むかつく理由をあまり深く考えたくない僕。

僕のなかの壊れていない部分

僕のなかの壊れていない部分

ライ麦畑でつかまえて (白水Uブックス)

ライ麦畑でつかまえて (白水Uブックス)